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【代表者コラム】IFRS適用延期と国益について

菊川 真
プライムジャパン代表 公認会計士

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6月21日、金融庁の自見庄三郎金融担当大臣は、IFRS(国際会計基準)について「2015年3月期からの強制適用開始はない」と表明し、事実上IFRS導入を先送りする決定を下しました。ご案内の通り、日本がIFRS導入に向けて舵を切ったのは、金融庁が2009年6月に公表した意見書「我が国における国際会計基準の取扱いに関する意見書(中間報告)」がきかっけとなっていますが、今回の“政治主導”による決定により、時計の針は大きく戻った感があります。本コラムではIFRSを巡る内外の動向を踏まえつつ、今回のIFRS適用延期と今後のあるべき方向性に関する見解を述べたいと思います。


中間報告の中で金融庁は、「2012年にIFRS強制適用の可否を判断する」こと、また適用する場合は早くて「2015年または2016年に開始する」方針を示していましたが、自見金融相は21日の会見でこれらの方針を撤回しています。その理由として「中間報告」以降、国内外において様々な状況変化が生じていることを挙げていますが、特に大きな理由として、経団連を代表とする産業界の態度の変化と米国の最近の動向が挙げられます。21日の会見においても自見金融相は、5月26日に公表された米国証券取引委員会(SEC)の作業計画案(スタッフペーパー)について触れて、「前回はIFRSを全面採用するということであったが、(今回のスタッフペーパーは)非常に玉虫色のような文章になり、結果として全面採用から少し後退したと私は思っている」と発言し、米国の態度の変化を指摘しています。日本経済新聞でも「米国でIFRSの導入機運が後退している」「SECが事実上の判断を先送り」(6月22日付)と報道されています。


では米国の実際の動きを追ってみます。


SECは、2010年2月にIFRS適用時期を2015年以降にすると発表していますが(SEC Approves Statement on Global Accounting Standards)、同時に作業を具体化するための「ワークプラン」を実行することを表明し、「IFRSの開発および適用の十分性」「投資家の理解と教育」「企業への影響」など6項目を挙げ、これらの検討状況を定期的に報告するとしていました。2010年10月、このワークプランの中間報告を公表し、その中で各国のIFRSの採用方法について分類(*1)した上で、IFRS適用については多くの国がコンバージェンスもしくはエンドースメントに収斂していることを指摘しています。このワークプランを受ける形で、2010年12月にはコンバージェンスとエンドースメントの中間形態と言える「コンドースメント・アプローチ」(*2)という新しい概念をSECスタッフが提案しています(Remarks before the 2010 AICPA National Conference on Current SEC and PCAOB Developments)。加えて、米国基準に組込むにはIFRSは高品質であるべきこと、十分に高品質であれば新たなIFRSと米国基準との間に差異は生じないであろうとも述べています。

5月26日のスタッフペーパーは、このコンドースメント・アプローチの詳細と当該アプローチを採用した場合の便益とリスクについて報告したものです。つまりスタッフペーパーは、SECの一連の方針を明確化し、その方法論についての具体化を進めたものであって、金融相の言うように決して「玉虫色」ではありません。むしろIFRS適用に向けてのSECの強い意欲を示すと同時に、これまでの取組み姿勢からは、高品質でグローバルな会計基準策定に向けての強い自負とプライドが感じられます。


(*1)アプローチ方法として以下の3つを紹介している。
①アドプション:IASBが発行したIFRSを自国基準としてそのまま採用する。
②コンバージェンス:IFRSへの全面的なアドプションをコミットせずに、自国基準についてIFRSへのコンバージョンを進める。中国が事例として紹介されている。
③エンドースメント:各国当局による承認手続きを経るもの。承認プロセスを通じてIFRSの基準設定に影響力を与えることにもなる。EU、オーストラリアが事例として紹介されている。

(*2)エンドースメントを基本としつつ、その移行過程においてIFRSと米国基準間にある既存の差異については、コンバージェンスを併用するもの。最終的な目標は、米国基準に準拠していれば、IASBの発行したIFRSに準拠していることになると主張できるようにすることだとしている。


@NEXT@

6月29日、SECのコミッショナーの一人によるスピーチがありました(Keynote Address at the Society of Corporate Secretaries and Governance Professionals 65th Annual Conference)。その中で、SECのIFRSに関する決断は、「もはや先送りできない(We can no longer kick the can down the road)」として次のように述べています。

「SECはIFRSを米国基準に組込むことを決断しなければならない。IFRSを推進しないことのリスクはあまりにも大きすぎる。」「IFRS適用に向けた米国の信頼に足る歩みがなければ、その品質および比較可能性の維持向上はない。」「IFRSに関してSECが行う決定は重要なものであり、世界中から注目されている。この問題において米国のリーダーシップは非常に重要であり、我々はこの課題を克服し、リードし続けることを望んでいる。」

このように米国はIFRS適用に向けて、1年以上にわたって国内外に布石を打ちながら議論を深めると同時に、単一で高品質な会計基準への国際的な統一に向けて、自国の利益を反映させながら、その取組み姿勢を強くアピールしています。


翻って金融相は21日の会見で次のような趣旨のことを述べています。「会計基準は単なる会計の技術論ではなく、税制、経済、文化と関わる。イギリスのように産業革命が自然発生的に起こった国やアメリカのように自由の見地で資本主義が開いた国と、日本のような開発型の資本主義とは違う。」さらに個人的意見とした上で、「アメリカより先に日本が先走って決めることはない。」残念ながらこれでは、国際的な会計基準の統一に向けての積極的なメッセージが感じられません。


私はIFRSの最終的な全面適用を支持するものですが、2015年の強制適用を延期するという今回の決定自体に異論はないです。またIFRSへの移行過程においては、任意適用が可能であることを前提に、少なくとも当初は適用企業の範囲を限定しつつ、最終的に全面移行するのが実務上はスムーズであると考えています。したがってある意味では、今回の延期の背景にある一部の論調と整合する部分もあることは自覚しています。しかし、それはIFRSの導入に向けた実務的なプロセス、まさに技術論であって、その前提としては会計基準の国際化とその品質および比較可能性の向上に向けたグローバルな取組みへの貢献ならびにIFRS導入に向けた強いメッセージを国内外に送ることが欠かせないと考えています。


6月30日には企業会計審議会が開催されましたが、報道内容や関係者の話を総合すると、かなり議論は錯綜したようです。中には、ここに至って資産負債アプローチを否定する意見やIFRSが全面時価会計であるかのような主張もあり、これらが事実とすればこれまでの取組みは何だったのかと思わざるを得ません。IFRS導入に向けた包括的で多面的な検証がなされていれば、IFRSに対する不安感や疑念、ひいては誤解に基づいたような解釈もなかったのではないかと思います。審議会ではIFRS強制適用は国益に反するという意見も出たと聞いていますが、我が国経済の自律的・継続的な発展と豊かな国民生活の達成が国益とするならば、会計基準のあるべき姿も見えてきます。過去の資産を食いつぶし、ひたすらに借金を積み重ねるこの国の未来を真剣に考えるのであれば、行うべきは現状維持ではないことは、ここ20年近くにわたるGDPの長期停滞を考えれば明白です。PBR1倍割れと言われる中で株価を下支えしているのも唯一買い越し基調にある海外投資家によるものです。かつて日本の財務諸表にレジェンドがついた記憶を我々は忘れてはなりません。そのためには、これまでのIFRS導入に向けた我が国の取組みを無駄にすることなく、その国際的な発言力をより一層を高めていかなければなりません。言うまでもなく会計基準は経済活動を支えるインフラですが、過去の制度を維持するためだけにあるのではなく、むしろこれからは新たな企業活動と社会制度への道筋を示すきっかけとしなければなりません。