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東京電力は5月20日、2011年3月期決算を発表しました。
この決算発表に先立つ5月6日、自民党の河野太郎衆議院議員がそのブログにおいて「すべては監査法人次第か」と題し、「そもそも賠償金どころか廃炉費用もわからない状況で、決算を出せるのだろうか。当然に、決算はまず、3ヶ月延期されるべきだろうし、その時点でも上場廃止はまぬがれないだろう。」、「廃炉に10兆円ちかく、損害賠償にも少なくとも同じぐらいの費用がかかるかもしれないが、確定的なことはなにもわからないという企業が、上場を継続する意味があるだろうか。」と発言されています。政治的、社会的背景やその最終処理に関する政策的議論はいろいろあると思いますが、今回の決算および監査の結果については、似たような意見を他にも目にします。私はこのような意見に出会うたびに、あらためて監査のガバナンス機能としてのあり方について考えさせられます。そこで、まずは今回の東電決算における監査意見の背景と意味合いを考察し、そのガバナンスのあり方についても触れてみたいと思います。(なお、以下の監査意見をめぐる記載は、私自身の解釈に過ぎないことはお断りしておきます。)
東電の監査を担当していた新日本有限責任監査法人を取巻く状況は、3月11日を境として一変したことは誰の目にも明らかでした。従来は監査リスクの最も低いクライアントのひとつであったところ、状況は激変し、事の成り行き次第では過去前例のない規模の監査リスクを背負うことになったからです。ここで言う監査リスクとは、究極的には不適切な監査意見を表明したこと、あるいは意見を表明しなかったことによる監査法人等に対する被監査会社や株主その他第三者からの訴訟リスクと考えて差し支えありません。
実際、監査法人は対応に非常に苦慮したと思います。監査技術的な観点からは、東電が直面している状況はその存続に重大な影響を及ぼし、また焦点となっているのは負債の網羅性や会計上の見積りの要素という一般に固有リスクの非常に高い項目であり、かつ未確定事象も多いため、監査上の心証を得るのは容易ではないと想像されるからです。加えて直面している状況は、一企業の枠組みを越えた問題であり、監査結果次第では資本市場、電力その他エネルギー政策等社会経済全体に多大な影響を及ぼすということが、事態をより一層深刻なものとしていました。そして何よりも、これらの事象が期末日直前に一気に発生したため、監査上の検討に残された期間もわずかであったことが最大の難題であったと思われます。
しかしながら、このように事態は複雑かつ深刻ではあるものの、監査上のポイントは明確で、一点に絞られます。それは今回の原発事故に係る損害賠償をめぐる政府による支援スキームの有無です。おそらく監査法人は早い段階から、東電の経営陣に対して、政府による支援スキームの枠組みを具体化するように要請していたのではないかと思います。仮にそのような損害賠償をめぐる支援スキームがなかった場合、東電の財務諸表はまったく異なったものとなる可能性もあったからです。
ご存じの通り財務諸表は、企業が将来にわたって事業活動を継続するとの前提(以下、「継続企業の前提」)に基づいて作成されています。このことは現行の日本の会計基準であろうがIFRSであろうが不変の大原則です。この前提の下では、財務諸表に計上されている資産および負債は、将来の継続的な事業活動において回収または返済されることが予定されているわけです。もし継続企業の前提が成立しなければ、もはや一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠した財務諸表の作成は不適切であると判断されます。つまり一般論として言えば、実質的な経営破綻につながります。
継続企業の前提に重要な疑義を抱かせる事例としては、重要な損失の計上や借入・社債の返済の困難性、事業活動に不可欠な重要な資産の毀損あるいは巨額な損害賠償金の負担の可能性等さまざまで、通常これらの項目は、複数の事象が密接に関連して発生するものと考えられます。
さて今回のケースを事例(前ページ参照)に当てはめた場合、直面している状況が継続企業の前提に重要な疑義を生じさせていることは明らかで、この場合、監査人は、当該状況に関しての評価および対応策を検討し、さらにその対応策が当該状況を解消し、または改善するものであるかおよびその実行可能性について検討することになります。そのうえで、継続企業の前提に関する重要な不確実性が認められるか否かを判断することになりますが、重要な不確実性が認められる場合においても、注記を付すことにより継続企業を前提として財務諸表を作成することが適切であると判断した場合には、監査人は適正意見を表明することは可能で、その場合は監査報告書に継続企業の前提に関する事項を追記情報として記載することになります。今回の監査結果はこの場合に該当します。つまり、政府による支援スキームの存在が対応策の最大の根拠となり、その結果、重要な不確実性は認められるものの、継続企業を前提とした財務諸表の作成が適切であると判断されたと考えられます。
一方で対応策が示されなかった場合、すなわち支援スキームが示されていなかった場合には、十分かつ適切な監査証拠が入手できなかったことを理由として、監査意見の表明の適否を判断することになったでしょう。一概に論じることはできませんが、近い将来において巨額の損害賠償を負担することが不可避であり、またその経営への影響度合いを鑑みると、原発事故賠償をめぐる支援スキームを伴った対応策が示されないケースでの意見表明は、相当ハードルの高いものとなったでしょう。
東電をめぐっては、地域独占体制の見直しや送電・発電の分離論、スマートグリッド構想等、今後の事業形態やエネルギー供給の在り方について様々な議論がなされており、その延長線上において前篇冒頭でご紹介したような監査に対する意見も多く見られました。しかしながら、私は今回の監査意見は結果としては妥当であると考えています。もちろん政府が発表した支援スキームは確定したものではなく、その詳細は今後の国会審議に委ねられていますし、また今回の監査意見は会社法決算に関するものでしょうから、今後の後発事象の発生状況に応じて、有価証券報告書ベースの監査意見に影響与える可能性は否定できません。しかし、今回の監査意見は、現時点で取り得るギリギリの判断であったと考えています。
東電に対する複雑な感情については理解しますが、ここは冷静・慎重な判断をしなければならないでしょう。いま優先すべきことは、原発事故を一刻も早く鎮静化させ、福島はじめ周辺地域・住民へ円滑な補償を履行することであり、また夏場に向けた電力の安定供給です。ここで経営破綻に陥ったり、経営体制の見直しとなれば、その対応に多大なエネルギーをそがれることになるだけでなく、金融資本市場への影響も図り知れません。また国有化という議論もありますが、これまでの政府の対応からして事態の本質的な解決にはならないでしょう。スマートグリッド構想もその検討の必要性に異論はありませんが、いまの東電が直面している課題に優先するとは思えません。
従来、日本の企業システムにおけるガバナンス構造は、監督官庁である行政機関やメインバンク制度が中心的な役割を演じてきたと言われています。その要因のひとつとして、情報の非対称性が少なくモニタリング・コストも低かったことなどが指摘されていますが、90年代以降の経済環境の変化の中でメインバンク制度の有効性は低下し、また規制緩和の流れの中で行政機関と企業との関係性も大きく変わりました。その一方で、日本経済の活性化とグローバルな競争力を復活させるべく金融ビッグバンによる一連の改革がなされ、市場機能を通じたガバナンス体制のひとつとして、監査法人に対する役割期待も高まりました。このため業界では会計基準の変更と併せて、急ピッチで監査制度の見直しや実務指針の整備に取り組んでも来ました。先の継続企業の前提に関する開示制度を導入したのも2002年のことで、それ以前であれば投資家に注意喚起する手段もなかったことになります。もちろん制度を整備すれば十分というわけではなく、その担い手である監査人がその制度趣旨に則り適切に運用していくことが、規律ある市場機能の確立に欠かせません。その意味で監査法人には、より専門性を磨き、その批判的機能と指導的機能のバランスを効果的・効率的に維持、発揮していくことがより一層求められます。
ただし、ここで忘れてはならないことは、何が最も適切なガバナンス体制であるかに答えはないことでしょう。これは日本だけの問題ではなく、リーマンショックを経験した米国にも当てはまることです。つまりガバナンスを担う完璧な主体が存在しないのであれば、二者択一的な議論に終始するのではなく、それぞれがその機能と限界を理解し、相互に補完しながら、市場全体の規律を保つ道を常に探っていくしかないと考えます。
私自身はいま現在は、監査の現場から離れ、コンサルティング活動に従事していますが、広い意味で資本市場に関与していることに変わりはなく、どのような貢献が可能であり、望ましいのか、日々、自問自答しながら活動を進めています。