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今回の大震災に伴う巨額の財政負担が、日本国債の動向に大きな不安を投げかけています。日本は長い間、デフレ環境下にありましたが、今後想定される国債の大量発行は、国の財政やマーケットの需給環境により、短期的にはともかく中長期的には大きなインフレリスクを抱える可能性があります。またグローバル経済に目を向けると、すでに商品高を主因としたインフレの潜在的リスクが高まっています。今回は、今はまだ潜在的ではありますが無視しえないインフレリスクと制度会計、さらには日本復興とのかかわりについて述べたいと思います。
現行の制度会計は、原則としてその測定単位である貨幣価値が安定していることが大前提です。これは取得原価主義に基づく適正な期間損益計算を主眼としていたこれまでの日本基準、公正価値評価に基づいた資産負債アプローチを取るIFRS、いずれにおいても変わることはありません。高インフレ下において貨幣価値が大幅に下落した場合には、財務諸表の比較可能性や同質性の確保、資本維持の達成が損なわれ、その有用性は著しく低下します。
過去を振り返ってみると、オイルショックに伴う1970年代から80年代にかけての世界的なインフレは、当時の企業会計にも多大な影響を及ぼし、世界的にインフレ会計を制度化する契機となっています。アメリカでは、1970年代急速にインフレが進行したことから、本格的に制度が導入され、適用企業は物価変動に関する会計データを補足情報として公表しています。当時は各国において、世界的なインフレを背景として、当局や実務家によるさまざまな検討や提言がなされていました。
しかし、その後インフレが終息すると関心は急速に薄れていき、今となっては制度自体、形骸化しています。日本でもオイルショックによる急激なインフレが大きな社会問題となり、物価変動会計が国会や企業会計審議会で議論されていますが、具体的な方法論となると税務を含めた利害調整が難航し、結局は制度化に至っていません。
IFRSでは超インフレ経済下における基準として、IAS第29号「超インフレ経済下における財務報告」を規定しています。この基準は、機能通貨が超インフレ経済下の通貨となるすべての企業に適用されます。超インフレの定義は例示列挙されており、例えば3年間の累積インフレ率が100%に近いか、又は100%を超えるようなハイパーインフレを想定はしていますが、これに限らず諸要因に基づいて判断することを求めています。この基準、中味は全部で41項しかないシンプルな規定で、超インフレ経済下においては、財務諸表を期末日現在の測定単位で表示しなければならないとしています(IAS第29号8項)。すなわち、財務諸表の補足情報としてではなく、あくまで期末日の貸借対照表項目に対して、一般物価水準に基づいた修正再表示を要請しています(11項)。この場合、すでに期末日の測定単位で表示されている貨幣性項目は修正再表示せず(12項)、非貨幣性項目について、その取得又は発生した日から期末日までの一般物価指数の変動に基づいて修正再表示されることになっています(15項)。
ただし、実際にこの規定を実務で当てはめようとすると、貨幣性項目・非貨幣性項目の峻別、その時点・時点における一般物価水準として何を適用するか等多くの課題に直面することが想像されます。IAS第29号は1989年の公表以降、実質的な概念や方法論に関する討議の形跡は見られず、制度化はしたものの、その後は時代のニーズからはかけ離れた規定として、ある意味封印された過去の産物となっています。
このように制度会計とインフレとのかかわりは、時の経過とともに薄れてきましたが、実体経済の面では、各地域でインフレ懸念が台頭していると言います。主に食料品や資源高が欧米、新興国のインフレリスクを高めているということですが、量的緩和第2弾(QE2)が終了する予定の米国債の動向や債務問題を抱える欧州の先行きも気になるところです。
私たちは今回の大震災や原発事故で、想定外という言葉を何度も耳にしました。また、ここわずか数年でリーマンショック、大震災という「100年に一度の危機」を二度も経験しています。そしてクライシスは突然やってくることを学びました。
日本の場合、商品高以上にインフレとの関係で懸念されるのは国債相場の行方でしょうが、膨大な復興需要に対して、大量の国債発行が不可避である以上、その安定消化には財政規律に対する信認が欠かせないのでしょう。仮に財政に対する信認が揺らいだとき、長期金利の上昇からハイパーインフレへと負のスパイラルに直面する可能性も否定できません。
私は経済の専門家ではありませんが、昔、ケインズ政策を学んだ際に、その要諦は有効需要の原理ではなく「return of confidence」(確信の回復)にあることを知り、とても新鮮に感じました。大英帝国の絶頂期であったビクトリア朝とその崩壊そして世界大恐慌という激動の時代に生きたケインズは、経済危機の根幹を「crisis of confidence」(確信の危機)と呼び、経済の復興にはどのような景気刺激策よりも「確信の回復」が不可欠であることを指摘していました。
日本のこれからの復興とそれに続く自律的経済成長を考えるとき、私たちに欠かせないのは、一日も早い着実な復興のみならず、その先にある社会と未来へのまさに「確信の回復」に他ならないと感じます。先行きに対する期待や見通しを伴わない景気対策がいかに無力であるかは、長い平成不況の中で私たちは十分に体験してきました。私たちは、そろそろ不均衡点の限界に達しつつあるように思います。
未来への見通しの立たない経済的な混乱の中で、いくら封印してきたインフレ会計をその必要性に応じて適用したところで、そのような財務諸表は「確信の危機」にある投資家や社会のニーズをもはや満たすものとはならないでしょう。
継続企業を前提とした企業会計は、おぼろげながらも社会の健全な期待あってこそのインフラであり、かつその有用性を発揮するものと考えます。