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株式会社アートネイチャー(以下「同社」という。)が、上場前に発行した新株の発行価額について、算定方法の妥当性が問われた株主代表訴訟の上告審判決が2015年2月19日にありました。この中で最高裁は、1審・2審判決を破棄し、その結果、被告である取締役側が逆転勝訴しています。
同社は上場前の2003年11月、代表取締役に対して自己株式を1株1,500円で処分。さらに2004年3月、役員らを割当先とする第三者割当増資(当時、定款に株式譲渡制限の定めがあった)を実施し、株主総会特別決議により発行価額1株1,500円で新株を発行しました。これに対して同社の株主が、これら自己株式処分および新株発行は、当時の企業価値と比較して著しく不公正な価額であり、「特ニ有利ナル発行価額」(旧商法280条の2第2項)に当たるにもかかわらず、必要な手続きを怠ったとして株主代表訴訟を提起し、会社に損害を与えたとして代表取締役らに対して22億円相当を支払うよう求めていたものです。
一連の経緯 |
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本件は、自己株式処分および新株発行が著しく不公正な価額で行われ、有利発行について必要な手続きを経ていないことについて法令違反があったかどうかが問われたわけですが、1審・2審判決では、自己株式処分については1株1,500円が妥当であるとされた一方、新株発行については、著しく不公正な発行価額に当たるとして取締役の責任を一部認定し、裁判所は公正な価額と発行価額との差額にあたる2億円相当の支払いを命じていました。
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これに対して最高裁判決では、1審・2審判決を取り消し、本件新株発行における発行価額は「特ニ有利ナル発行価額」には当たらないとして、取締役の責任を否定しました。
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私は法律の専門家ではないので、本件に関する法的な観点からの考察については他に譲るとして、ここでは財務および内部統制に従事するコンサルタントとしての立場からコメントしたいと思います。
まず率直な意見として、今回の最高裁の判決、特に結論に至る考え方に違和感はなく、首肯できるものと言えます。むしろ気になったのは、改めて1審判決の内容を確認してみると、その解決手法についてです。1審判決の中では、株式の評価に関して、以下の通り4つの算定結果が示されていました。
① 被告が援用するA公認会計士による算定結果(配当還元法により1株当たり1,500円) ② 原告が援用するB公認会計士による算定結果(収益還元法・時価純資産法により1株当たり3万2,254円) ③ 同社が援用するCコンサルティング会社による算定結果(DCF法・時価純資産法ではいずれも0円のため、取引事例法により1株当たり1,500円) ④ D監査法人による算定結果(時価純資産法・収益還元法ではいずれもマイナスのため、取引事例法により1株当たり1,500円)
1審判決では、新株発行における公正な価格は、将来の収益獲得能力に加え、静態的価値による評価結果等も考慮しながら総合的に判断するのが相当とした上で、これら4つの算定結果はいずれも問題があるとして、独自に価格を算定し、上記Cコンサルティング会社のDCF法による評価額に修正を加えて、1株当たりの価値は7,897円であるとしています。私が違和感を覚えるのは、この解決手法です。未上場会社の株式評価という、ある意味、幅のあるものに対して、裁判所が事後的に適正な評価額はこうであると提示して、それに基づいて違法性を問うことが、経営というこれまた正解のない世界における過失認定プロセスとしてふさわしいのでしょうか。このような解決手法が裁判において一般的に行われているのか分からないのですが、その解釈の仕方に関しては、法律の専門家の方の見解も伺いたいところです。いずれにしましても、本件は直接には法令違反が問われたものではありますが、論点は、当時の株価算定がその目的に照らして適切かつ合理的に行われたのかという点とそれに基づいた経営者の経営判断が妥当であったかどうかという2点だと思います。
確かに、未上場会社の株式価値の算定方法には、コスト・アプローチ、インカム・アプローチ、マーケット・アプローチなど様々な評価方法が存在します。また実態として、算定される株価は、評価方法によってに相当程度の乖離が生じ得るものでもあります。したがって、実際に株価算定を実施する場合には、恣意性を排除するため、各算定方法の特性(長所・短所)を考慮した上で、特定の評価方法を採用した理由(および他の方法を採用しなかった理由)を明らかにするのが一般的です。その上で、財務の状況や将来予測など一定の前提条件を所与として、独立した専門家の立場から発行価格決定のための参考情報を提供することが株価算定の目的であります。したがって、合理的な範囲で客観的情報を入手し、その評価方法が明らかに不合理でない限り、その算定プロセスおよび内容は、専門家の裁量に委ねられるべきものでしょう。最も問われるべきは、その算定プロセスにおいて何らかの恣意性がなかったか否かです。
これは経営サイドにも当てはまることです。取締役の職務遂行の適切性を判断するに当たっては、裁判所はその経営判断をある程度尊重しなければ、経営自体が著しく萎縮したものとなってしまうことは言うまでもないでしょう。私が見る限りでは、今回の1審・2審判決および最高裁判決では、いわゆる経営判断の原則については触れられていないようですが、基本的に経営や財務について専門的知識や経験を有しない裁判官が、その判断の是非について判定するのは困難と考えるのが筋でしょう。本件事案は、業績が悪化し、役職員の離脱が相次いだ苦しい時期に会社を支え、そして会社を立て直して上場まで導くことに貢献した役員らを訴えた株主代表訴訟です。ここでも問われるべきは、如何にして経営のプロである取締役としての善管注意義務・忠実義務を履行したのかという点ではないでしょうか。最高裁の判決の中では、「予測可能性」という言葉が出てきますが、取締役の職務執行の適切性を判断するに際しては、結果の影響度合いや重大性に偏ることなく、事案に至る背景やその意図、経済合理性などを考慮し、経営者としての合理的な裁量の余地は確保されるべきものと考えます。
IFRSやソフトローの流れに見られるように、財務会計の世界も法律の世界もプリンシプルベースの考え方が浸透している昨今においては、一義的にはプロフェッショナル・ジャッジメントが尊重されるべきです。その意味で、今回の最高裁の判決は、いまの時代の流れに即したものと言えるのではないでしょうか。
最高裁判決の内容は裁判所のウェブサイトで閲覧できます。